一応ググってみたら、「降りつづける」も「降りつづく」もかなりの数ヒットしたんですが、
「雨が降りつづく」のほうが倍ぐらいヒット件数がありました。
面白いのは「どっちが正しいの?」っていうのや「『降りつづく』やろ! ちゃんとせえ!」みたいなのもあり、やっぱり二つの間で揺れてるんだなァ、というのがよく分かりました。
中には、「降りつづく」派の人で「なぜ『降りつづく』が正しいのか」を説明してる人もいたりして、自他動詞の違いで説明しようとしたり、「雨には意志がない」的なことを理由としてあげている人もいるようです。
私的には、「降りつづく」のほうが昔から使ってる言い方だと思うし、正しいかどうかは別にしても「降りつづける」と聞くのはキモチ悪いです。
でも、「なぜ?」という問いには答えられません。それがルールだから、としか。
まあこの「ルール」にしても、言葉のルールはどんどん変わっていきますから、もしかすると今まさに変わっていきつつあるのかもしれませんね。
で、ちょっとだけ私の考えを書いておきますと。
まず「~つづける/つづく」は複合動詞で、動詞の連用形について新しい動詞を作ります。
「走り続ける」とか「食べ続ける」とかですね。
で、雨が「降りつづく」は例外です。「~つづく」になるのは「降る」しかないと言ってもいいんじゃないかと思います。全部の動詞、全部の例を調べたわけではないですが(というか不可能ですので・笑)。
これは昔使っていた日本語の教科書にも明記されていました。
自動詞他動詞では説明できません。「走る」「笑う」「光る」「流れる」などの自動詞にも全部「~つづける」がつくからです。逆に「~つづく」はつきませんね。
同様に、意志があるかどうかも関係ありません。
「星が輝きつづける」「桃が流れつづける」など意志がないものでも「~つづける」になるからです。これも「~つづく」はおかしいでしょう。
で、なぜ最近「雨が降りつづける」が増えてきたかというと、多分、他のものが全部「つづける」だから、それに引きずられたんじゃないかと思っています。専門用語で「過剰般化」っていうんですが…。
ひとつのルールを、他の言葉にも過剰に適用してしまうことで、例えば「きれい」は形容動詞だから「きれいだった」になるところを、「きれい」の「い」があるために形容詞のルールを適用して「きれかった」にしてしまうことなどです。
「降りつづく」の場合はこれ一つだけが例外でルールが違うから、とっても立場が弱いんじゃないかな。私的には応援してるんですが、どうも形勢は不利な気がしています。(´・ω・`)
最近よく耳にするので気になって書いてみました。
あくまで私見ですので、くれぐれも鵜呑みになさらないようにお願いいたします。(^v^)